会社案内> 沿革

沿革

創業期

当社は、昭和30年10月に神奈川県の中央部に位置する大和市にて産声を上げました。創業者である故安田薫前会長が練炭や石炭といった家庭用燃料の販売からスタート致しました。昭和30年代は家庭で調理をする際には都市ガスやLPG(プロパンガス)のインフラが整備されておらず練炭などを中心とした燃料が主流でしたが、LPGの普及が進んできたことから当社もLPGの販売を手掛けるようになりました。
その燃料販売先のあるお客様から同社の食堂運営を依頼され、業態は全く異なりましたが給食部門の第一歩を踏み出しました。当時は高度経済成長期でしたので、本社を構える大和市は首都圏にも近く自動車産業などの工業が盛んな地域だったこともあり、給食・仕出し弁当事業は多くのお客様のお手伝いすることが出来ました。また創業当時からの燃料販売のLPG部門も人口増加に伴い顧客数を大きく伸ばすことに成功致しました。

転換期

昭和から創業している企業の多くは、1980年後半のバブル景気の時期に経営が大きく変動したと思いますが、当社もその時期から運営方針を変更していきました。その時期はLPG販売・企業や公立学校の委託給食・レストラン運営・仕出し弁当などが当社の主要な事業でしたが、バブル崩壊後の国内産業は安価なコストをもとめ地方都市や海外への移転を急速に進め、また福利厚生費のコスト削減もあり社員食堂などが縮小されていきました。
このような状況下、当社も委託給食部門で大変苦しい経営を余儀なくされましたが、当時の二代目社長である故安田幹雄は、当社では未知の分野でありましたが需要が急激に高まり始めた高齢者施設や病院医療施設への委託給食に進出致しました。今までは質より量を希望されるお客様への食事提供がメインでしたが、病院食や治療食などのデリケートな食事提供への進出を試行錯誤の上開拓していきました。
同様に仕出し弁当を製造する自社弁当工場の運営も厳しい状況に追い込まれました。この時代は、現在ほど少子化問題は大きくはありませんでしたが人口のピークは越えており、幼児給食はあまり注目されていませんでした。しかし、この時期から女性の社会進出が進み始め共働きの家庭の増加により幼児様のいらっしゃる保護者様には、早朝からのお弁当の作業は負担が大きくなり始めることが予想されました。そこで弁当工場も当初より販売を行っていたものの販売量の少なかった幼児様向けの弁当中心に製造のシフトチェンジを行い積極的に地元の幼稚園様にお弁当給食を売り込みお取引が広がっていきました。その結果弁当工場の運営も厳しい状況を脱するとともに地域密着の礎となりました。